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「AIミコと第十係、解体屋」第六章
1
二日後。答志島
俺(イチロー)は、失神しているのからうっすらと気が付いて、ウッドの床に倒れているのが解った。
目の前に、男か女か解らない、超細い男(多分)が片膝をついて、俺を覗きこんでいた。フードを深くかぶって、トレーナーの上下で、おまけに上の電球が陰になって、顔は解らなかった。
でも、見たことのない男だ。
どこかの別荘みたいな所だった。
少し顔を動かすと、答志島別荘と、木の札が、ガラス窓の所に掛けられているのが見えた。
答志島か。どこにあるかもわからない。多分、こいつに呼び出されて、連れてこられたのだろう。知っている風体ではないから、多分、SNSでやりとりしたんだろう。
ふと気が付くと、男が、「これで最後通告だ。殺戮は止めろ。絶対だぞ」とすごんで、いきなりナイフを俺の腹に突き立てた。
ぐしゅっという鈍い音がした。激痛が走った。
俺は気を失った。
ふと気が付いた。夢だった。俺はまた失神しているのからうっすらと気が付いた。さっきのウッドの床だった。
片胸が強烈に痛かった。激痛だ。こいつに殴られたようだ。肋骨が折れているような痛さだ。殴られて、倒されたのだろう。でも、何故? はっきりとは解らない。殴られた衝撃で、記憶が一部飛んだらしい。でも、夢の中の敵の言葉が何かヒントになるのだろうか?
ふと気が付くと、横に猫が伸びていた。
猫は血だらけだった。集中して見ていると、俺の魂が分裂して、猫に入った。敵の男は、何か、部屋の中で探していたが、最後に捨て台詞を吐いて出て行ってしまった。
「これで最後の殺戮にしないと、今度こそお前が痛い目にあうぞ」と。
どうやら、人間の俺が完全に失神したと思っているようだ。
猫の俺は、激痛にさいなまれていた。何しろ、二人の喧嘩に巻き込まれて、投げ飛ばされて、腹が裂けてしまったようだった。
巻き込まれたという記憶はかすかにあった。おまけに、この血も涙もない人間の俺に、万力で頭をぐいぐいと締め付けられたようだった。キリキリと頭蓋骨がきしんでいる。二人の喧嘩の前、ふざけ半分にやったのだろうか。
ふと自分の腹を見ると、腸が一メートルもはみ出していた。
猫の俺は、「助けてくれ――」というつもりで、ニャーと鳴いて、人間の俺に爪を立てた。
「止めろ――。気持ち悪い」
人間の俺が、力任せに、猫の俺を投げ飛ばした。ペッと唾まで吹きかけてきた。
猫の俺は、それでも、必死で、ウッドの床の上を這いずって行こうとした。このまま人間の俺にかかずらわっていたら、きっと殺される。
でも、試しだとおもって、人間の俺に向かって、みゃーと、弱弱しく声を上げてみた。
だが無駄だった。
人間の俺は、「ふん、死ね」と冷たい言葉を投げかけただけだった。
猫の俺は、さらに逃げようと腸を引きずって、這いずって、部屋の隅に行った。
ずりずりと、腸が攣れる。むき出しの傷の皮膚に空気が冷たい。引きずられて、空いた穴から内容物が染み出す。汚物の匂いがした。
しかし、後ろで人間の俺の動く気配を感じた。
そちらに目を向けると、人間の俺が、同のオブジェ(天使みたいだ)をもって、猫の俺をめがけて、振り下ろそうとしていた。
風が、そのオブジェの振り下ろされる勢いに巻き込まれて、起こった。下向きの風圧がきた。
続いて、鈍い衝撃が俺を襲ってきた。
グシャっという頭蓋骨と脳みそのつぶれる音がして、猫の俺は気を失った
。
2
同じ頃。十係。
「浮所さんですか。実は答志島へ、連続殺人犯が向かったという情報が入ったんです。発信元は解りません。何でもSNSでイチローと知り合った相手らしいんで。イチローというのは犯人です。連続殺人犯なんで、今回も何かやるでしょう。はい。大至急、答志島へ臨場してもらえませんか。お願いします」
ミヤビはそれだけ告げると、自分たち(十係と丸餅警部と若林警部補とハルとジュンとジュン2)は答志島へ向かった。
だが、その途中で、浮所警部補から、事件はすでに発生してしまった、との電話をもらった。
概要は、次である。密室の中で猫が殺されていた。で、密室の外で、別荘の管理人の老人が刺されていた。何か所か刺されて重傷だが、命はとりとめたので、病院へ搬送したとのことだった。
「密室の外で殺傷?」と十係たちは顔を見合わせたが、一応、電話はそこで切れてしまったので、現場へ急いだ。
3
浮所警部補の電話を貰ってから一時間後。答志島の近くまで来ていたので、一時間後には、十係は現場へ臨場することができた。
夜、八時。
現場は、答志島のモトキという人間の別荘だった。
「モトキ、かあ。ここへイチロウが来るという情報をくれた人間と関係があるのかなあ。ぞなもし」
答志島の港から、浮所警部補の教えてくれた別荘へ歩きながら、ミヤビは聞いた。
「さあなあ。つうか。一人心当りはある」
ミコが自信ない声で答えた。
「何ぞな?」
「実は、カスガ警部補とディーン警部補に色々と調べてもらったところ、イチローに骨髄を提供した男がモトキというらしい、と判明した。今日電話をもらったのだが」
「ああ。あの一家全員がB型という家族? でも、姓が違うような。確か、あの家の女主人は有名なテニスプレーヤー、そうだ、大阪ナオミと言ったような。ぞな」
「そうだ。一人だけ、結婚してしまったから、別姓になったとか。でも、離婚してしまったそうだが」
「そうかあ。でも、最初の推理では、イチローを殺そうと狙っているって話しじゃあ」
「それは、中山七里の小説がそうだったから、それに影響されただけだ」
「そうかあ。じゃあ、実は、モトキはイチローに殺しを止めさせようとして、付け狙っているのかも。今回も、その為に、呼び出して、怖くて痛い思いをさせたのかも。ぞな」
「成るほど。こりゃあ、もう、今回の情報源は、モトキに間違いないぞ」
タブレットの中でミコが頷いた。
ミヤビは歩きながら、耳を澄ました。
闇の中で、波がザブーン、ザブーンと音を立てている。
空気に塩の匂いが強くする。
道はけっこう凸凹している。イチローは呼び出されたのだろう。
こんなところを歩かされたイチローは、きっと、肺がキシキシと悲鳴を上げていただろう。
肺に浸潤がおきているんだから。
ミヤビがそんなことを考えていると、別荘に着いた。
結構大きな別荘だ。
表札に名前は書いてない。だが、脇の電気の点検の計器に小さくモトキと書いてある。
中は、すでに三重県警の鑑識などの人間が来ていた。これは、ジュンたちの出番はなさそうだ。
4
中に入った。まず廊下に入った。南側に面して廊下がある。廊下の入り口にブロックが二つあった。
廊下に、チョークで人間の形に跡が書いてある。人が倒れていた形だ。胸の処がまだ血だらけだ。
「これは?」
ミコが聞くと、浮所警部補が、写真を見せてくれた。
「管理人の老人です。写真で解るように、もう九十歳で、ガリガリです。ナイフで数か所刺され、瀕死の重傷を負っていたので、病院に搬送しました。『犯人、――イチローでしょうが――、廊下で何かやっているところを見て、刺された』と言っていました。『横に三百万のダイヤが転がっていた。中の手持ち金庫にあった物だ』とも言っていました。イチローが盗んだようです」
「ここはモトキの別荘だと聞いた。彼は大阪ナオミの弟だが。連絡はつかないのか?」
丸餅警部が、最初は所轄の警部補に説明して、最後はミコに聞いた。
「はい。カスガ警部補の情報だと、大阪ナオミとは縁を切っているようで、電話番号も知らないとか」
「そうか。成るほど。して、この廊下の赤い血は? 予想はつくが」
「管理人の老人の刺された血です。ダイイングメッセージもその血で書かれています。ま、死んではいませんが」
「掠れていますが、『ダイイングメッセージはロミヒーの』と読めますが」
ミヤビは廊下の字を読んだ。
「説明します。このダイイングメッセージはの文は、管理人が、犯人を見つけた時に書いた物です。その前に、一度刺されて、それで死ぬと思って書いて、でも、書いている最中にまた背後から刺されて、意識が途絶えたようです。繰り返しになりますが、犯人は何か廊下でしていて、横に三百万のダイヤがあったとか」
「成るほど。で、鍵は?」
ミコが聞いた。
「はい。窓もドアも内側からかかっていました。窓から見て、相当な血があり、もしかしたら殺人か、と思い、ドアをぶち破って入ったら、殺されていたのは猫でした。机の陰で見えなかったのです。それで、犯人は、ダイヤだけ盗んで密室にして逃げようとした。だが、管理人に見つかって、一回刺した。で、また密室の作業に戻っている間に、管理人がダイイングを書いた。だが、管理人が文章を書いた後、一回ここを去って、また戻ってきて、今度は本当に致命傷になる傷を負わせた。で、逃げたようです。その後、たまたま近くを警邏していた我々がその老人を発見したんですが」
「ふむ。別荘の所有者のモトキはどうしていたんだ?」
丸餅警部が聞いた。
「ボートで立ち去ったようです。そちらに電話して、自分の用事は済んだと思ったんでしょう。我々がここへ来る途中、ボートで立ち去る音がしていました」
「成るほど。ちょっと質問」
ミコが声を上げて、続けた。
「見ると、ドアの鍵は縦横の簡単な奴で、下に焦げた糸が落ちているし、鍵にひっかいた跡もある」
「その通り。でも、密室です」
浮所警部補が密室に力を込めた。
ミヤビは部屋の中を見回した。
ドアは上の方が嵌め殺しの窓になっている。三角ガラスの組み合わせの形になってはいるが、前回のような民芸調ではない。
部屋の中を見た。サイドボード、上にテレビ、ステレオ。机、ソファーがある。ベッドは隣の部屋か?
参考までに、隣の部屋も見た。ドアの上が、リビングと同じ三角形の組み合わせ窓で嵌め殺しになっている。
リビングに戻ってくると、ミコが語り掛けてきた。
4
「『ダイイングメッセージは、ロミヒーの』というのがヒントになりそうだが。ロミヒーと言えば、芸能界用語で、ひっくり返してヒロミ。あのヒロミと言いたかったのだろう」
「ぞな。とすると、ヒロミの妻? ああ、でも、それはないなあ。ヒロミの妻にはとてもじゃないが、密室のトリックを考えるような頭はないような」
「まあな。僕は、わざわざ『ダイイングメッセージは、』と付け加えたところにヒントがあると思う。さっきも言ったが」
「というと、何ぞな?」
「あのなあ。管理人のジーさんは、死にかけていたんだ。その中でも、わざわざ『ダイイングメッセージは、』と付けたのは、ヒロミにしかないものだ、と思う」
「ヒロミにしかないもの?」
「あるいは、ヒロミが得意としている物だ」
「建設用材?」
「そうだ。もっと言うと、レジンだ」
「はあ? 飛びすぎていて、解らない」
「そうか。じゃあ、まず頭から考えてみよう」
「はあ。ぞな」
「イチローはレーザー銃を持っている」
「ぞな」
「それで、上の三角のガラスを切り取る。そして、下の鍵を縛って、糸を上に延ばして、三角ガラスの切った穴に通す。そして外に出る。それから、鍵を横にして、上の抜いた三角ガラスの処から手を入れて、糸を縛ってある元の処を、レーザー銃で狙って、やたらに撃つ。で、糸を燃やした。なので、鍵に傷がついた」
「成るほど。ぞな。上の窓はきっと、玄関の処に置いてあるブロックに乗ったので、腕は届いた」
「そうだ。その後、切った窓の端を透明のレジンで張り付けた。これは透明な樹脂だ。暖めて、即乾かした。アクセサリーによく使われる。今回は厚手のガラスじゃないから、前回みたいな民芸調にはできない」
「成るほど。レジンか。じゃあ、爺さんは、そこを見たんだ。でも、レジンていう言葉を知らなかったんで、ヒロミがテレビでよく使うと書きたかったんだ」
「そうだ。でも、もう一度、イチローは戻ってきたんだ。致命傷を負わせたんだから」
「ああ、そう。ぞな」
「つうことは、もう一段階、奴は何かやっている」
「何ぞな?」
「多分、この窓を調べても、レジンは検出されないと思う。蛍光顕微鏡でないとダメだが」
「じゃあ、何をしたと言うんだ? ぞな」
「嵌め殺しにヒントがある」
「嵌め殺し?」
「そうだ。嵌め殺しは、きつくて、ギュウギュウと押し込んでも、一見、嵌め殺しに見える」
「つうことは。どゆこと?」
「隣の部屋のドアの上の窓と交換したんだ」
「成るほど。隣の部屋のドアの上の窓も同じサイズ。上からひっかけるだけ」
「そうだ。でも、かすかに歪んでいて、すっきりとはまらなかった。で、ギュウギュウ押し込んだ。で、嵌め殺しに見えた。後で隣の部屋のドアの上の窓を調べてみれば、どれかの三角窓がレジンでくっつけてあるはず」
「了解。ジュン。後で科捜研に持ち込んで」
ジュンからは、「了解」の返事があった。
ミヤビは、最初から上の窓を外してやれば一発ジャン、と思ったが、黙っていた。よーくかんがえたら、それだと、レジンの出番がないし。老人が苦心して、考える必要もないわけだ、と納得した。
「それにしても、可愛そうな猫。万力で締め付けられて、その間を銅のオブジェで割られている」
「後で手厚く葬るぞな」
ミヤビは手を合わせた。
「唾まで吐きかけられている、ぞな」
ミヤビは抱きかかえた。
「その唾は、イチローの犯行の証拠となる。ハルが匂いでイチローと特定しただろうが、補強になる」
ミコが目を輝かした。
「ぞな」
ミヤビは唾の処だけ、切り取ることにした。